Technology, information, and our idea
久しぶりに携帯電話を忘れて出掛けてしまった。
改めて思うこと、”携帯ってあったら便利だけど、なくても生きていける”。
それ以降、わたしは通勤中の電車のなかで、人々をよく見るようになった。
一番多いのは、携帯電話をいじっている人。
次は、寝ている人。あるいは、本や雑誌、新聞を読んでいる人。
友人や恋人、伴侶と一緒に話している人。
外の風景を見たり、ぼーっとしている人って、意外と少ない。
満員電車で外の風景が見えないからかもしれないが、なにもしないでいる人ってほんとうに少ないのだ。
このことに気づくのに、これほど時間がかかるとは思いもよらなかった。
SNSの普及によって、情報が流れる世界となったが、あまりにも情報が流れすぎていて、自分がどこにいるのかよくわからなかったりする。
そして、往々にして情報に振り回されがちになる。
よくよく考えてみると、SNSなどで出ている情報は、その人の経験であって、わたしの経験ではないのだ。しかし、SNSの速報性や独特の臨場感によって、あたかも私がそれを体感したかのような気分になることがある。だからこそ、繰り返しになってしまうが、流れてくる情報はわたしの経験ではないことを意識する必要がある。
真実はひとつではないのだ。人の数だけ、真実がある。
わたしのように情報にふりまわされがちな人間にとっては、意識的に情報機器から切り離す作業が必要になるかもしれない。
あるいは、あるけれども、もともとないかのように接すること。
情報機器から入力した情報と、自らの手で筋肉を使って紙に書きとめるという作業には、出力した情報は同じであっても圧倒的な違いがあるが、私にそれを表現するほどの力はない。
情報機器も使い、しかしアナログなところも忘れずに。バランス、そして距離感が大事なんだろう。